農業施設27巻4号
1997.3,193〜194
論説:

反省と念願

Introspection and Wish

田中俊一郎
Shun-ichiro_TANAKA

 最近の農業、食糧、農業施設学会、大学等に係わる問題について、反省と念顧を述べる。

1.人口増加と食糧問題
 紀元前1万年頃の地球上の推定人口は300万人で、西暦元年でも2億5千万人にすぎなかったのが、現在では58憶人にも達し、2050年には100憶人に達するという。これは人口増加曲線の微分値が0に近い状態で1万年位続いた後に、いきなり無限大近くになり、人類はほとんどカタストロフィー状態に直面していることを意味する。100憶人に達するのにわずか50年余りしかないが、わが国は効果的な対策をとってきていない。その原因はいくつかあるが、わが国の貿易立国としての国際分業体制論が支批的で、産業政策の一環として食糧輸入もやむを得ないとしてきたことによっている。しかし、経済先進国だけがよければよいという時代ではなく、また世界の人口1人当たりの穀物生産量は減少し始めている。つまり、人口増加速度に食糧増産速度が追いつかなくなっている。悪いことに、画期的新農業技術の出現なども期待できない段階にある。
 大学に居ると、つい農業施設内で穀物を生産するような夢をもってしまう。しかしもはや、この類の夢を追い求める時ではないと反省している。100憶人の人口に対処できる期間はたかだか20年か30年しかないからである。
 最近、試験研究機関の要職にあられる方々が.新産業の創設に結びつく基礎研究ならびに真に農業現場に結びつく研究活動の必要性を訴えておられる。ひしひしと胸に迫り来る論説であり、2倍も3倍も仕事をしたいとの思いが沸き起こってくると同時に、当学会でも広く社会に危機的状況を繰り返し訴えるべきではないかと考えている。

2.農産物と食品の価格
 身近な物品の1kg当たりのおよその価格を計算すると、石油は100円/kg、自動車は2000円/kg、カラーテレビは1万円/kg、ジェット機は10万円/kgになる。農産食品については、米もミカンも500円/kg、砂糖は200円/kg、インスタントラーメンは800円/kg、緑茶は10,000円/kgである。ついでに、水道水は10銭/kgであるが、ミネラルウォータは200円/kg、娩酎は600円/kg、強壮剤は2,500円/kgである。
 以上、工業製品も農産食品も1kg当たリ100円台の物から1万円台の物までは共通の価格が存在している。しかし、その売れ行きという点では大いに異なる。人類は営みの過程省略を図るために科学技術を発達させたとする説に従うと、工業製品は不要不急の物品が多い、すなわち、工業製品は所得水準の向上とともに、便利さと楽しみのために売れ行きが伸びるものである。これに対し、たとえば米の売れ行きは所得に比例せず、ある点で飽和状態になるものである。従って、米のような基礎食糧の丸裸での流通ならびに無原則的な貿易自由化を禁止するのは、科学的根拠の明確な正しい理論と考える。
 関係者は米の自由化阻止に向けて相当の努力をされたが、現状は米の完全自由化に向かっており、わが国は取り返しのつかない間違いを犯してしまった。当学会でも、専門性のためか、公式の議論の場はなかったように記憶している。筆者も何一つ効果的な行動ができなかったことが今更ながらに残念でならない。それにしても、わが国のパチンコ産業が17兆円もあることを考えると、高々11〜12兆円の産業を健全に育成できない現状に無力さを感じる。歴史上、食糧自給ができなくなった国はことごとく滅びているからである。
 この期に及んでは、次善の有効な研究開発を企図するとともに、広く国民に訴える一方では、無駄でも農業関係の全学会が一致団結して、大蔵省、通産省などへの働きかけができないものかと念願している。

3.農業関連研究の方向性
 基礎科学から応用科学までのあらゆる学会の根本的な使命は、学術の振興にあることに変わりはない。しかし、民主主義の御旗の下に、あらゆる権威を否定する風潮がある一方では、余りに科学至上主義に陥り、世間の信碩を失ってしまっている例も見聞きする。宮大工の西岡常一と大学教授の「学問の信用論争」もその例の一つであり、今一つは農学部不要論である。また、同じ農業に係わる学問分野でも、「専門」と「科学の論理」を盾に、我々が師と仰ぐべき秀逸な篤農家に対してさえも未完の科学を振り回し過ぎて、農業者の信頼を損なっている例がある。
 また最近は、農業機械学識座の呼称もなくなって、キーワードは生物、環境などへ移行し、何となく士気の低下を招いている。そこで、声高に科学性を叫んでいる方々に会う一方で、多くの現場の農業者と消費者に接してみた結果、信頼の喪失ということがでてきたのである。たとえば今、農業者と消費者の間に某微生物資材が導入され、研究者、医者、マスコミを巻き込んで果てしない論争が続いている。昨年8月には某学会が、この微生物資材に関するシンポジウムを開催し、その効果はないと決めつけた。ところが、厳しい米国カリフォルニア州が許可しているのはこの微生物資材のみであることを知っている上に、多数の再現性ある実績をもっていて、化学肥料と農薬に痛めつけられている人々がこれを納得する筈がない。筆者もこの微生物資材が鉄の防錆に顕著な効果があることを研究報告しているが、こうしている間に農業者と消費者から上述の不信感を聞いたのである。
 この例は多くの問題を含んでいるが、紙面の都合で詳述できない。真偽の程を確かめるために、プロフェッショナル・アマチュアの資格がある当学会員の間で、この方面の事例調査と基礎研究を行ってみるのもおもしろいと考えている。
 こうは言っても、筆者も科学の立場を毛頭否定するものではない。「科学」の立場からは、農業における自然現象が想像を絶する複雑さであっても、これを全部解明するのが当然である。しかし他の分野と異なり、農業に係わる現象は余りにも複雑過ぎて、これらの科学的解明は当分望めそうになく、迫り来る食糧危機には対処できない。このことは、モノ作り、システム、コンピュータ技術などをキーワードの一部にしている当学会員諸兄は百もご承知のことである。
 常日頃、農業者に学び本当にお役に立つ研究開発を行いたいと念願するとともに、余りに科学性を強調し過ぎている他分野の方々と学会レベルで、一度真剣に議論したいと願望している。
 食糧問題と環境保全に関して今一つ、水田と温故知新という言葉が浮かぶ。わが国の水田は2千年にわたって主食としての米を供給し続けてきた。また、水田は畑とは異なり、水と肥料を地上から供給するため、ダム機能と水・土壌環境保全機能を果たしてきており、その上、独特の米由来の民族文化を形成してきている。早くも千年前には麹が世界で最初の商品になったのも米と無関係ではなく、わが国の醗酵技術を世界一のものにしている。
 我々の先祖は科学のない時代に、なんと素晴らしい農業関連技術を開発したことであろう。温故知新とはよく言ったものであり、今後は水田を新たな視点で見直し、さらに米の機能性についてのそれこそ科学的な研究が必要である。当学会員が中心になってこそそれが可能になる。米の栽培から食味に至る全プロセスのシステム解析ができる立場にあるからである。

4.地域活性化と農学部
 今、各方面から大学への期待が高まっている。1995年には科学技術基本法が施行されたが、これは国レベルでの期待である。産業界からは1996年に「経団連ビジョン2020」と「創造的な人材の育成に向けて」というレポートが出され、大学や国立研究機関との連携に期待を寄せている。地域からは、企業誘致策に代わり、新しい企業を担う人材の育成を不可欠と考え、内発的・自律的な発展の必要性を認識した期待、ならびに高齢化時代に求められる地域に開かれた大学への期待を寄せている。
 このように大学は期待を寄せられつつあるが、進学対象年齢層は急速に減少するとみられており、大学も生き残りをかけて競争の時代に入っている。さらに、従来の産学連携から地域社会と大学が相互に求めあう「地学連携」時代が到来しつつある。
 このような動きを先取りした形で、1987年度から大学を地域活性化の核と位置付けて、地域共同研究センターが国立大学に設置されてきており、既にその数は40大学以上にのぼっている。そして、平成6年度の民間との共同研究は約1500件で、予算額は50億円の規模に達している。しかし、平成7年度の当大学における共同研究を例にとると、工学部の11件に対し、他の医、理、水産、農学部はそれぞれ1〜2件ずつである。一方、同年9か月間の科学技術相談は工学部の33件に対して農学部は25件であり、技術相談が共同研究に結びつかないことを示している。共同研究の種別(C)でも最低限の費用が必要なことがその原因であるものとみられる。ここでも農業系の特殊な経済事情が働いており、工業系の経済機構には太刀打ちできないでいる。
 本県のような農林水畜産業を主体とする地域では、研究費の有無に拘わらず、お役に立てる機会は少なくない。全国的に同様の事情であれば、学会レベルで文部省に改善を要望できないものかと願っている。




農業施設学会